□ 彼女 □

 ぐおん。と、空が鳴った。
 同時に呼吸さえ止まりそうな圧迫感。
 円は窓の外を凝視した。
 いる。…彼処に。

「田上っ!」

 暗い教室に飛び込んで来たのは、担任の木津。

「…先生?」

 人の気配に身を固くした円は、相手を確認すると、ほっと胸を撫でた。

彼女が来たんだな?」
「……はい」
「場所は分かるか?」

 すっと、円は沈みかけた夕陽へ腕を伸ばす。

「向こうの丘のてっぺん……」

 朱に染まるそこに、彼女がいるはず。
 円を追い詰め、救う者。

「なら、急ぐぞ。今のでが起きた」

 低く呟いて木津は円の手を取った。


*   *   *


「は……、はぁ……っ」

 頂上へ続く階段の途中で、円は苦しげに膝を折った。

「なにやってるんだ、追いつかれるぞ」

 ぐいと腕を引いて木津が急かすが、思うように身体が動かない。

「見つ けたぞ ぉ……」

 ゆらゆらと前後に揺れながら、
 少年は獲物を見つけた喜びに顔を歪ませた。
 彼女が覚醒するのに合わせて、奴らの力も増幅する。
 少年の姿をした、いや、昨日まで確かに少年であったそれは、
彼女の突然の目醒めによって、理性というものを消され、
血に飢えた生き物へと姿を変えていた。
 彼とは昨日まで普通に会話をしたはずなのに。

「寄 越せ……、お 前の 眼」

 唯一、彼女を見られる眼。
 逃げだそうとした少女は、階段の踊り場で前のめりに倒れた。

「はははっ」

 が笑いながら高く掲げた右手に、ごうごうと風が集まってゆく。
 次第に大きくなる風の球を支えるため、はもう片方の手も添えた。

「喰らえっ!」
「ぐうっ」

 風の玉は少女にぶつかり、地面までえぐり取って砂煙を上げた。
 粉塵があたりを覆い、少女の姿は確認できない。

「今だ、円!」

 聞こえてきたのは、男の声。
 そこでようやく罠に掛かったことに気付く。
 慌てて追おうとしたが、視界がふさがった状態で
 階段を駆け上がることは困難だった。

「ちくしょうっ!」

 が叫んでいる声が背後に聞こえたが、円は振り返らずに走った。
 もしかしたら、真後ろに奴が来ているかもしれない。
 震えて思い通りに動かない脚を、無理矢理に動かして駆ける。

「…………っ…、はぁ」

 瞬間に、視界が開けた。
 てっぺんの御堂のあるところまで着いたのだ。

『お前か……』
「あなたが彼女なのね?」

 女は何も云わず、ただ頷いた。

『また、眠れと申すか』
「……そうよ」
『ならば、分かっておろうな』

 妖艶な紅い唇を歪ませて、女は円の瞼に鋭く尖った爪を押し当てた。

「分かっているわ……」
「寄越せぇええええええええっ!!!」

 消えかけた砂煙の中から奴が飛び出してくる。

「早くっ!」

 少女の鮮血が、宙に舞った。


*   *   *


 円は、目を失った。
 木津は右腕の自由をなくした。

「でもね、先生。私これで良いの」

 腕を絡めながら云った円に、木津は微笑みを返した。